日本脱出記大杉栄・日本脱出記  2 第一章 大杉栄の「日本脱出」と外務省史料、「東京日日新聞」記者との会見・続

大正十二年二月廿二日 本省着 大正十二年二月十七日 後十、〇

〇 在ハルビン 総領事  山内四郎

外務大臣伯爵 内田康哉殿
《高麗共産党員に於て大杉栄歓迎準備に関する件》
大正十二年三月十五日 機密第二四七号 在支那 特命全権公使 小幡酉吉 外務大臣伯爵内田康哉殿
《大杉栄の最近の行動に関し報告の件》
「…三月十五日信すべき某筋より得たる極秘情報に依るに大杉は事実当地に潜伏し居る模様なるに付…」「該情報の内容詳細は左掲の通に有之候」「大杉栄は秘かに上海より当地に入込みて一支那人宅に潜伏し主として学生方面と連絡し殊に北京大学関係学生と交際し居れり未た具体的飛躍を見さるも学生の外支那人同主義者とも連絡し北京大学講師たりし盲目露詩人より会て紹介を受けたる露国人とも往復し居れり尚彼は王正延の助手《幕下》と称する北京大学出身一支那人の宅に於て三月十一日夕開かれたる東三省学生旅大回収問題会議に出席せる事実あり其際に於ける彼の形相は顎鬚茫々、強度の近視的眼鏡を附け外見四十幾歳、背を屈め如何にも不健康にて肺患者に彷彿たる姿なりき尚彼は右席上温暖の候を往ち京奉線にて奉天に赴くへしと語れりと」



大正十二年三月廿二日 四二七二 暗 巴里発大正十二年三月廿二日后一、三〇 本省着大正十二年三月廿三日前、一一、三〇 内田外務大臣 松田代理大使 第二〇八号
「大杉栄は支那旅券を帯有して香港より佛国汽船に乗船し三月五日頃馬耳寒に上陸後阿部の仮名を用ひて密かに巴里に滞在せり、当地に於ては■社会主義者の会合に臨席したる如きも特に同主義者有力者と往来せる形跡なし予て御通知の要視察人大石スチブン及林シヅエと交通し後者は常に同人に随伴せり本月十五日巴里発林を帯同し同月十七日より「フランクフルトアムマイン」に開会の無政府主義者大会に出席の為赴けり同人は入露を目的とせるもの如既に同国にある片山と連絡を取り経路は伊、墺国を経由するか或は独逸を経由するか目下処不明なり本電英、独、及馬耳塞へ転電し前記貴電と共に伊、墺へ郵送せり。」

大正十二年三月二三日 受信人名 後藤警保長 発信人名 松平欧米局長《大杉栄の行動に関する件》

大正十二年三月二十九日 機密第一五四号 在ハルビン 総領事山内四郎 外務大臣伯爵内田康哉殿
《大杉栄と朝鮮に関する件》

大正十二年四月十四日 在支那 特命全権公使 小幡酉吉 外務大臣伯爵内田康哉殿 機密第三六三号
《大杉栄の行動に関する件》
「其潜伏の場所も今に判明せさる処一方近来当地新聞紙上大杉来京の記事散見せらるる為支那警察側の注意をも喚起し京師警察庁機要課より大杉の写真の有無を我警察署に問合せ来りたるに付新聞紙所掲の写真を交付せしめたるに警察庁は■を複写し密偵に配布し且毎日郵便局に員を派して大杉等社会主義者輩の通信を検閲する等近来支那側の探査振りも相当厳重を加へたる模様なるも是又今に大杉の所在を確かむるに至らさる由に有之候尚今後共支那側と連絡を取り彼の行動内探を怠らさるへきも不取敢此段及進報候也」
写送付先 在上海在哈爾賓各総領事

大正十二年四月十九日 五六九三(暗)松田代理大使巴里発后六 本省着大正十二年四月二十日后二 内田外務大臣 第二八三号
《往電第二〇八号に関し(大杉消息)》
「大杉栄の「フランクフルトアムメイン」に於ける主義者大会参列は仝会合の招請に基きたる趣なる処仝人所持の支那旅券に必要の査証を取付けることの得ざりし故を以て同会へ参加することを得ず其侭佛国に滞在し居たるも所持金欠乏し■■生活に窮し来りたる尚既報の上海■■主義者との関係を辿りて里昴に滞在支那学生として保護を受け居れり仄聞する処に依れば■■(大杉)に於ても支那側の手先となることは潔しとせ■処なるのみならず佛支学会の保護を受たることも一層危険の処なり且今回砥渡欧の目的も各国主義者との連絡に非ずしも単に研究視察に止るものの如く目下入露を断念し近々独逸内に開かれるべき無政府主義者大会へのみは万難を排しての出席の覚悟なね趣にて同会終了の上は帰郷の希望を有する由なり目下在独日本人知人訪問無く金策を兼ね独逸へ入国の為再び支那旅券に所要の査証取付方を試み居れるが既に仏国官憲よりも不審なる人物として注意せられ居るやにて査証を得ること頗る困難なるに付■■海外旅券の交付を受けたる趣■■同人知人より特別の詮議ありたる旨願出の次第あり就ては同人に対する今後の処置に戴き至急付回電を請ふ独逸及里昴へ暗送せり。」

大正十二年四月廿八日午前十一時 受信人在佛松田代理大使 発信人名内田大臣
二二一号件名《大杉栄の海外旅券に関する件》大杉栄の入独を極力阻止という主旨。

大正十二年五月一日 六二〇〇暗 巴里発大正十二年五月一日后六、三五 本省着大正十二年五月二日前一〇、一五 内田外務大臣 松田代理大使 第二九九号
「佛国滞在中の大杉栄は五月一日万国労農祭に際し巴里に集会する社会主義者会合の席上に於て日本の仝主義者を代表して一場の演説を試むることとなり右演説の要旨は当地滞在中の東京日日新聞記者井澤某に依りて密に本邦に報道せらるることに仝記者と大杉との間に打合済なる趣なり、仝人演説の要旨は当方に於ても注意の上判明次第要報すべきも右聞込みの儘不取敢申進ず(了)」

大正十二年五月二日 六二五八暗 巴里発大正十二年五月二日后五、三〇 本省着大正十二年五月三日前一〇、三〇 内田外務大臣 松田代理大使 第三〇一号
《往電第二九九号に関し(大杉栄演説に関する件)》
「当地新聞報に依れば一名の日本人五月一日午後巴里郊外サンドニに開かれたる労働者の集会に於て演説せんとしたる際警察より身分を証明する文書の提示を要求せられたる処右文書を所有せざりしを以て直に警察署に拉致せられたり…」

大正十二年五月二日六二七六暗 巴里発大正十二年五月二日后六、一〇 本省着大正十二年五月三日后五、五〇 内田外務大臣 松田代理大使 第三〇二号
《往電第三〇一号に関し(大杉栄演説に関する件)》
警視庁に問合せたる処右日本人は支那人Tun Chen Tong と自称する由なるも里昴chemin de toill に住居したる趣なれば或は右は大杉が旅券の関係上偽名せるものかと察せられ里昴へ転電せり。

大正十二年五月二五日 七五四二 暗 巴里発大正十二年五月二五日后五、三五 本省着大正十二年五月二六日后一、三五 内田外務大臣 杉田代理大使 第三五五号

「大杉栄五月二十四日国外追放の言渡を受け即夜巴里発馬耳塞に護送せらる同人今後の動静に付ては菅領事とも連絡を執り判明次第直に電報すへし同人追放に先ち警視庁より旅券を所持せざる外国人は何れの国も入国を拒絶すへく又佛国の法律上一度追放せられたるに拘らす再ひ帰来せるもは厳罰に処せらるるを以て大杉の如く曾て所持したる支那旅券は里昴の警察に押収せられ目下全然旅券なきものは何時迄も佛国官憲の厄介にならさるを得す就ては佛国側の迷惑も諒とせられ旅券発給取計はれたしと懇請の次第ありたるも電第二二一号御訓令の次第もあるを以て体能く之を拒絶し居る次第なるも同人の為め此上更に外国官憲に迷惑を掛けるも好ましからされは成るへく速に帰国せしむる方与えへく日本迄の旅券を発給し深く将来を戒めて出立せしむることと致したく右は内務省藤岡書記官の意見も徴したる上特に申進する次第に付何分の義至急御回訓相仰きたし」


大正十二年五月二十六日 七五八四 暗 巴里発大正十二年五月二十六日后三、四〇 本省着大正十二年五月二十七日前八、五〇 内田外務大臣 杉田代理大使 第三五八号
《往電第三五五号に関し》
「二十五日大杉馬耳塞領事館に出頭最寄便船にて帰朝したき考えるが右手続に関し何等の援助を得たき旨申出たる趣管領事より当方に来電あり就ては前記往電の次第御詮議の上至急仝領事へ何分の御電訓ありたり当方へも転電ありたし(了)」


大正十二年五月廿八日 暗号 発電大正十二年五月廿八日午後五時二十分 発電番号三八九四
受信人名 在佛 松田代理大使 発信人名 内田大臣 第三〇六号
《大杉栄に対する旅券発給差控方に関する件》
「省電第三五五号及第三五八号に同し帝国臣民にして帰朝せんとする者は日本船に依る場合は勿論外国船に依る場合と云えども別に海外旅券を必要とせさる義に付大杉に対し旅券を発給することは差控」

大正十二年五月二十九日 七七一〇 暗 巴里発大正十二年五月二十九日后一〇、二〇 本省着大正十二年五月三〇日后二、三五 内田外務大臣 杉田代理大使 第三六三号
《大使発馬耳塞宛電報第三九号大臣発大使宛第三〇六号に関し(大杉旅券の件)》
「大杉に船賃用意なきは勿論当地の友人等に於ても才覚覚束なきやに察せらるる処船賃は本人帰国の為是非必要に付乗船迄に時日あらば本省に御請訓然るべし若し其の時日なくば当館の機密費を一時流用し本省の追認を仰ぐべく貴官に於て本件御取計上の御参考迄に電報す。」




大正十二年六月二日 七八四二暗 馬耳塞発大正十二年六月一日后二、四〇 本省着大正十二年六月二日前一〇、〇 内田外務大臣 菅領事 第一二号
《本官発在佛大使宛電報第一四号貴電第三九号に関し》
「大杉の申立る処に依れば船賃は本邦よりの送金等に依整ふへき見込なる趣にして当館としても成る可く本人に工面せしめたき考なる処既に来る二日出帆の箱根丸に乗船し得る様手配済にして且万一船賃不足の為出発叶へとする当国官憲に更に迷惑を掛けることと相成るへきに付右用意として英貨百磅御送附相成度し」

大正十二年六月三日 七九三九暗 馬耳塞発大正十二年六月三日前一〇、一五 本省着大正十二年六月四日前八、一五 内田外務大臣 菅領事 第一四号
《貴大臣発在佛大使宛電報第三〇六号に関し》
「大杉は三日箱根丸にて無旅券の儘帰国の途に就けり尚同人二等船賃は巴里よりの送金にて立て替換置けり在佛大使へ転電せり。」

本文はここまで。


アルス版表紙裏 「仏蘭西追放状」とキャプション




コラム・内閲と検閲

初版 18,19頁

 出版法による検閲は出版物を印刷製本した後、発行の三日前に納本し事後検閲を受けるという制度で出発した。しかし実態はゲラ刷りの段階で内々に見てもらう内閲が慣例化し、「内閲制度」になった。
                       (参照 『検閲と文学』1920年代の攻防 紅野謙介 河出ブックス2009年)
 さらに「内部検閲」として、かつて削除処分を受けたか予め削除されると予想される語句を発行者が編集により、通常は伏せ字分を「××」として活字を組む自主規制が行われた。「自主」削除した文字数と×の数を同数としたかは検証が必要である。
 ××以外の活字潰し(活字表面をヤスリで削ったような痕跡)、そして空白(活字を抜いたママ)或いは……(何行削除と記し……記号を組み込む)の箇所はゲラ刷りを提出した内閲時に削除の指示があった箇所と推測。
 大杉栄の著作でいえば結局は発売禁止処分を受けた『労働運動の哲学』は活字潰しが散見される。また初版と重版では削除頁の異動がある。(リンク頁の画像の同書2,3頁の一部の活字は潰されて印刷)。
 アルス版の『日本脱出記』は画像をアップしたように初版と60版では同頁の、おそらく内閲後の処理が異なる。
初版では…を組み直す時間が無く活字を抜いた空白のママである。60版ではすでに処分を受けていたので削除の行数を記し、…の記号活字で組み直している。
 活版印刷の紙型が耐え得る刷り部数は何部であるのか。1,000部程度という説もある。



土曜社版『日本脱出記』凡例

『日本脱出記』の初版と重版の18,19頁の画像。

初版 


初版奥付



60版



『大杉栄全集』 頁組みが異なるので本文のずれがあります。


土曜社版『日本脱出記』26頁



初版


60版


『大杉栄全集』



土曜社版『日本脱出記』27頁


初版

60版 18,19頁


『大杉栄全集』続きの頁


リンク 
『1920年、大杉栄を上海へ誘った 「コミンテルンの密使」は李増林か李春熟か』



土曜社版『日本脱出記』 カバー